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換気と翻訳(そして翻案)

「新年の抱負」を公表するというちょっとしたお祭りは、いきあたりばったりな僕にはあまり縁がない。ただ、今年に限っては違った。

年末に友達と会ったり電話で話したりしたことが、このテキストを書くきっかけだった。加えて、「新年の抱負」というパッケージがあるおかげでとても書きやすい。ありがとう、暦。

画像:2021年の漢字は金 東京五輪やコロナ給付|日本経済新聞 2021年12月13日

毎年、今年の漢字が清水寺で発表される。2021年は「金」だった。東京五輪の”金”メダルや様々な補助”金”、経済(つまり”金”)に目を向け始めた社会を表していると言われれば、そんな気もする。ただ、公募で決まるとはいえ投票数は約22万票で、「金」の得票数は約1万票だった。ざっくり言えば、日本人の1万人にたった1人の割合で『今年の漢字は「金」だ』と思っていることになる。

そんなことを考えていると、「今年の漢字」を決めて何になるのかと、少し不思議な気持ちになった。もちろん、振り返りや一種のイベントとしての意味はあるだろう。ただ、”中心”や”主と従”を感じざるを得ないそのマスっぽさは、徐々に過去のものになりつつある。

一方で、新年には「書き初め」という素晴らしい文化がある。各々が好きなことばを選び、これからはじまる一年を、希望を持って迎えるためのものだ。だから僕も、その使いやすいパッケージに、2022年、もしくはもう少し長い目で見た希望を「訊」という漢字に込めることにした。

とりあえずライターとして

2020年4月、僕の大学院休学生活が始まった。そして数日後、緊急事態宣言によって海外渡航が非現実的になり、休学する意味を失った。大学院を修了後はカンボジアの美術学校で働く予定で、休学はそのために必要な手続きの一つだった。

その頃は、コロナが社会をまるっと変えてしまうとは思ってもいなかった。想像力が足りなかったのかもしれない。しかし、卒業後の進路に関して言えば、それ以上に想像力が足りていなかった。

当然のように海外には行けなくなり、休学によって先延ばしにする予定だった修士論文が目の前に立ちはだかった。というか、始めからそれしかやるべきことはなかったのだ。

計画というほどの計画でもなかった僕の計画は見事に崩れ去り、卒業に向けて努力することにした。コロナは、卒業のために努力するという、至極当たり前のことを決意するきっかけをくれた。

いざ終わってみれば、修士論文の調査は楽しかったし、それなりに満足できる内容だった。しかし、海外に行けない状況は変わらず、卒業を目前にしても、働き口はまだ見つけていなかった。

大学生の頃に始めたバイトと、卒業間近に始めたライターの仕事でなんとか食べていけると分かり、そのまま2021年4月1日になった。元日ほどの新鮮さはないにせよ、新年度、いよいよ働く身となった。実感はなかった。正確に言えば、学生の頃から学生の実感もあまりなかったので、要は分かりやすい身分がなくなっただけだった。

4月の引っ越しと同時に猫がきた。体重は5キロに増えた。名前はアニョ(♂)

今はといえば、4月の頃と事情は少し変わっている。週の半分くらいは会社員として働いていて、インタビューや書く仕事は随分と減らした。経済的な事情もあるが、もうひとつの理由は、「ライター」という肩書に馴染めずにいたからだ。

ライターとして仕事を始めてからというもの、自分の考えを書いたことは一度もない。全くといえば嘘になるが、基本的にインタビューやレポート、テクニカルライティングは相手やイベント、言葉が示す正確な意味に主軸があるのであって、そこに僕の考えや意見を差し挟む余地はないし、それは望まれていない。

書くことは好きかと問われると、僕は決まって「苦ではない」と言う。ポジでもネガでもない。座りの悪い答えだと思うが、そうとしか言いようがないので仕方がない。

ただ、人の話をきくのは面白いと答えている。思えば、今年の1年間は仕事でも仕事以外でも、たくさんの人の話をきいていた。「あなたの話をきかせてください」とはっきり言ったわけではない。にもかかわらず、話し始めると止まらない人たちがたくさんいた。中にははじめて会った人もいれば、zoomや電話越しだったことも少なくない。

理由は色々あると思う。コロナで人と会う機会が減って話が積もり積もっていた人もいただろう。その相手として、たまたま僕がいただけに過ぎないとも言える。ただ、表面化したのが今の時期なのであって、話自体は長い間、その人たちの中で今か今かと出番を待っていたように思えてならないのだ。

話を聴くというのは、簡単かもしれない。だからこそ見過ごされてきた、あるいは、聴く行為自体が深く考えられてこなかったのではないだろうか。かくいう自分も、小学生の頃の成績表で「人の話をよくきく」の項目は、6年間ずっと”もう少し”だった。

聴かれてこなかった話たち

ここからは、僕の体験をもとにいくつか具体的な例と、読んでいる本についての話が続く。少し長い。

①出版業界の常識を疑い続けるライター

まだ大学院生だった2021年の3月、仕事を求めて動き回っていた。あるとき、ライターだけが所属している、少し変わった会社を訪れた。仕事がほしいという話をしにいったつもりが、気づけば相手が考えるライター像や文章を書くことの哲学を話しだし、僕にはそれが、まだ言葉にして間もない、生もののようにきこえた。

「こんなことを話したのははじめてだ」

そう言われて、単純に嬉しくも思ったが、今考えると、あの話はきかれるのを待っていたのだと思う。

②80歳の陶芸家がもつデジタルへの感性

別の話。つい先日、車を買ったので遠出してみようと思い、面白そうな場所はないかとGoogleマップで散策していた。気になった場所のSNSはとりあえずフォローしていると、山あいの集落で陶芸に励むおじいさんからinstagramでメッセージがきた。数日後、友達と一緒に行ってみると、自宅の一角に窯が据えられ、数々の作品が並んでいた。

おじいさんの創作話は尽きなかった。どういう人生だったのか、御年80歳にもかかわらず、これから何がしたいのかを嬉々として語ってくれた。

長くなりそうなので、この話は別の機会に書くことにする。

③日本にはないライティングの形

去年の12月、とある会社の人とzoomで話をした。「科学の政策・広報」という、おそらく日本で唯一の事業を展開しているらしく、アメリカには似たような会社がいくつかあるらしい。どういうライターなのか、どういう文章を書くのかという話をしていると、思いの外盛り上がった。

文章には様々な形がある。日頃から誰もが使っているチャットやメール、SNSから、詩や小説、そして企画書や報告書、研究レポートに論文など挙げればキリがない。にも関わらず、ほとんどの人は文章の書き方を教えてもらったことがない。僕もそのうちの一人だ。

この人と①の人とでは、それぞれの仕事で書く文章の性格はまるっきり違う。しかし、考え方や理想はかなり近いように思えた。サンプルは2つと少ないが、僕が行きたい方向がなんとなくわかった気がした。

まだみぬ聴かれぬ話たち

仕事で、高齢の方と電話で話をすることが多い。皆が皆というわけではないが、一定数、話し出すと止まらない人がいる。大切に育ててきた農作物、開発した機器、熱心に集めたコレクションなど、どれも興味深い話ばかりだった。愛が深ければ深いほど、語っていなければいないほど、話は長くなる。

しかし、長い話を悠長に聴いていられる人はそれほど多くない。比較的暇な僕ですら「この人話長いなぁ」と思うことはある。ただ、話の方が止まってくれないのだ。そして、僕には止まる気がない話を止める勇気もなければ資格もない。だからいつも、自然と終わるまで聴き続けている。

話は聴かれなければ、その人が経験したことは社会に共有されることはない。だからといって自然と消えていくわけでもなく、話はその人の中でずっと残り続ける。毒というわけではない。ただ、聴かれない話が聴かれないままで埋もれていくのは、少し寂しい。

話が面白いか面白くないかは問題ではない。話を聴いた人がその価値を判断すること自体が、間違っているような気もする。そうではなく、話を聴くことによってまずは一度外に出してあげる。そうすることで、新しい風が入る余地が生まれる。話をきくことは排気であり、排気しなければ給気もできない。語られない話は滞留し、固まる。

「換気が大切だ」とは、2020年から去年にかけてとても良く聞いた。しかし、換気すべきは何も室内の空気だけではない。内に溜まった話を外へ出し、新しい風を入れてあげる必要がある。

『取材・執筆・推敲』を読んで

今読んでいる本の一つに『取材・執筆・推敲(ダイヤモンド社,2021年)』がある。まだ全て読んではいないが、著者の古賀史健さんが語っていることがとても参考になったので、少しだけ紹介したい。

ライターの3つの機能

古賀さんによれば、ライターの機能は3つある。役割と言ってもいいかもしれない。それらは「録音」と「拡声」、そして「翻訳」だ。中でも、翻訳は最も中核的な機能だという。

「なるほど」と思った。ライターという肩書に対して、自分自身がイマイチ納得できていない理由が分かった気がした。

ライターは、文字通りに受け取れば、「書く人」だ。にも関わらず、3つの機能はどれも書くことを直接的には意味しない。

「録音」は、文字通り、聴いて保存し、いつでも取り出せる状態にすることだ。録音するために話を聴くのであるから、排気は録音と同じ時間の中で行われる。さきほどの話に照らして言えば、話をする人にとっては排気、つまり録音だけで十分ともいえる。だからこそ、カウンセリングや占いがあるのかもしれない。

「拡声」は、録音した内容に誰もが(その気になれば)アクセスできる状態にすること、もしくはそのための手段だ。インターネットやSNSが当たり前になった今、拡声はもはや、ライターの手に負える代物ではなくなっている。メディアやマーケティングのような言葉のもとに、ライターとしての機能からは半ば独立しているように思う。

そして「翻訳」だ。時間軸で言えば、録音と拡声の間に位置する。録音した内容を拡声する(その手段はテキストとは限らない)前に行う作業だ。古賀さんは『ライターとは取材者であり、執筆とは「取材の翻訳」である』と書いている。

3つの「きく」

ここでもう一つ、同書に書かれている別の話を取り上げる。古賀さんによれば「きく」という行為は大きく3つに分けられるという。一つは「聞く」で、もう一つが「聴く」だ。この2つの違いについてはライターであってもなくても、一般的に理解されていると思う。

もう一つは「訊く」ことで、僕はこれを「問う」ことだと理解した。とはいえ、”?”をつければ全て「問い」になるかと言われれば、そうではない。

「聞く」と「聴く」の違いについて、能動的であるか否かが問題にされることがあるが、それは少し不正確だと思う。なぜなら、「聞く」ことも「聴く」ことも基本的に受動的な行為だからだ。

一方で、「訊く」は基本的に能動的な行為だ。しかし、問いに意図がなければ、それは能動的とは言えない。

翻訳が抱えるズレ

「訊く」ことと「翻訳」に話を絞ろう。キーワードは「ズレ」である。まず、「訊く」のは相手と対峙している時であって、「翻訳」するのはその後だ。つまり、時間的にはズレている。

次に、いわゆる翻訳とは、ある言語を別の言語へと移し替えることだ。その際に翻訳者は、可能な限り、元の言語の意味を損なわないように細心の注意を払う。”可能な限り”と書いたのは、そもそも完璧な翻訳などありえないからだ。ある言語にあって別の言語にない単語や意味は数しれない。つまり、翻訳とは、その行為自体がある種のズレを伴っている。

ライターの機能としての「翻訳」についてはどうだろうか?同じ言語なのだから、そのままの内容を伝えたいのであれば、極端な話、録音や文字起こしがもっとも正確だと言えなくもない。

しかし、それは少し違う。インタビュアーは相手の顔や挙動、その場の雰囲気といった機微を常に感じながら話をきいている。そうした言語化されていない情報は第三者には伝わらない。だからこそ、「翻訳」することで”可能な限り”正確に伝えようとするのだ。ライターにとっての翻訳は、”意図して”ズラすことなのかもしれない。中でも、「訊く」ことは翻訳に深く関わる行為だと思う。意図があるから「問い」が生まれ、「訊く」ことができるのだ。

翻訳から「翻案」へ

時間的なズレと本質的なズレは避けられない。これら2つのズレを抱えて、世に送り出されるコンテンツが「翻訳」だと思う。僕がこれまでの仕事でしてきたのも「翻訳」であって、ライターという肩書の違和感の根っこはここにある。書きたいことなんて別に書かなくていいのだ。ライターは決して「書く人」ではないのだから。

「あぁスッキリした」そう思って、ここで終わっても良かった。しかし、古賀さんはいう。

もしもあなたが誠実なライターでありたいのなら、つまり取材したことの翻訳者でありたいのなら、あなたは勇気を持って「翻案」にまで踏み込んでいかなければならない。右から左へ直訳するだけでは、取材が死んでしまう。あなたがそこにいる意味がなくなってしまう。

古賀史健『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』p.208より

僕は、ライターとしてそれなりに聴けている自覚があったし、書く訓練もしてきたつもりだ。と同時に、取材やテキストから必要以上に自分を”排除”していた。はじめはそれでも良かった。しかし、書くことが日常と化すにつれて、何が面白いと思っているのか、何に興味があるのか、何がしたいのかがぼやけてきた。

自分の中にあるエンジンの場所を忘れてしまっている状態だったことに、この本を読んで気づいた。

改めて「ライター」として

古賀さんは、ライターはコンテンツを作る人であり、書く文章は取材相手への「返事」だという。どうやら、これまで僕が書いてきた文章は翻訳ではあっても「直訳」だったようだ。一つのコンテンツとして返事を書くためには、僕の意志や意図が必要だ。

「自分との関係性でしか情報の意味は発動しない」

ある編集者がインタビューで言っていた言葉だ。とても救われた。

地図はない。道のりは長い。方角さえも分からない。ただ、幸いなことに、確からしい方角を知っていそうな人には何人か心当たりがある。ひとまずは、彼ら/彼女らの背を見て進もうと思う。

いずれ目の前をいく人がいなくなった時、必要になるのは体力と戦略、そして愛だ。借り物だったライターという肩書を、これからは少しずつ、自分好みにしていこう。


参考
2021年の漢字は「金」 東京五輪やコロナ給付|日本経済新聞(2021年12月13日)
古賀史健『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』ダイヤモンド社