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ピンクリボンで考える、デザインの病理

2月23日の朝、ニュース番組でピンクリボンポスターの騒動を知った。

いくつかの問題が絡み合ったままで議論され、意見が交わされ、どこかで聞いたことのある結論にしか到達しないニュースを見て辟易した。気になったので調べていくうちに、少しずつ問題が整理され、頭も随分とクリアになった。

その過程をここに記しておく。

ピンクリボンポスター騒動

まずは、ピンクリボンポスターを巡る騒動について簡単に説明する。2月18日、あるツイートによって問題が表面化した。

主にツイッター上で上記のポスターに関する意見が交わされ、21日にはデザイン大賞を主催する団体の公式HPに謝罪文が掲載された。

それほど長くないので、以下に全文を引用する。

日本対がん協会が主管するピンクリボンデザイン大賞は、乳がんの早期発見の大切さを伝え、検診受診を呼びかけるとともに、正しい知識を習得していただき、ご自分に合った適切な行動を起こしていただくことを目的に実施しております。しかしながら、これまでの入選作品に対し、問題点を指摘する多くのご意見が寄せられております。選考の責任はわたくしども協会にあり、お気持ちを傷つけてしまった患者さんやご家族のみなさまにお詫びを申し上げます。また、偏った価値観に基づいて作品が選ばれているとのご批判もいただきました。ご意見を真摯に受け止め、よりよい啓発活動のあり方を探ってまいります。

公益財団法人 日本対がん協会

「ピンクリボンデザイン大賞について」(2022年2月21日)|ピンクリボンフェスティバル

22日以降は各テレビ局やウェブメディアにも取り上げられ、ツイッター上の反応と同様に否定的な意見が多かったように思う。肯定的な意見は少なく、中には、肯定か否定かといった二者択一ではなく、”思慮深い情報発信が大切である”といった教訓めいたことを書く記事もあった。ツイッターで起こったいわゆる炎上の一つであり、よくあることだとして片付ける人もいたかも知れない。

どの見方も理解はできるし、その通りだと思う意見もある一方で、どれも局所的か一面的、もしくは問題の表面をなぞっているだけのように感じた。仮によくあることなのだとすれば、なぜ頻繁に起こってしまうのか。それが分からなければ、また似たようなボヤ騒ぎがあり、時間とともに鎮火するのを繰り返す。実際、2月18日に始まった騒動も、2月末になればほとんど聞かなくなっていた。

©chb1848, 2008(Licensed under CC BY-SA 2.0)

時間が解決したのかと言えばそうではない。単に関心が薄れ、忘れられ、次に同じことが起こっても前回の経験が生かされないまま、またもや忘れられていく。その繰り返しである。よくある話であればなおさら、関心の薄れは加速する。

私たちが日々暮らし、学び、仕事をする中で、ボヤ騒ぎの野次馬でいるよりも優先すべきことはいくらでもある。ニュース一つにどれだけの時間をとったとしても、それがよくある話であれば尚のこと、新しい発見はほとんどない。また、いつもの日常が始まる。

果たして本当にそうだろうか?

看過できないことと看過してはならないこと

ピンクリボンポスター騒動についてのニュースはそこまで多くない。2週間弱しか話題になっていないので無理もない。しかし、一通り調べ終えてもなんだか煮え切らない。

なぜか? それは、僕にとって看過できない問題が含まれていて、かつ、看過してはならないと思ったからだ。

一つはポスターを作った人と大賞に選んだ人の問題で、これは控えめに言っても腹が立つ。もう一つはデザインという、業界なのか言葉なのかは一旦置いておくとして、とにかく”デザイン”を取り巻く現状に横たわる根深い問題であり、これは僕に限らず、看過してはならないことである。

(ほどけなくはない)絡み合った複数の問題

もう少し問題を細分化してみたい。まずはじめに、このポスターの目的は「啓発」である。近ごろ乳がん検診を受けていない人に対して、受診を促すことがこのポスターの役割だ。

啓発は、商品やサービスを知ってもらって買ってもらうための広告でもなければ、企業や政治家が信頼を得るための活動であるPRとも違う。宣伝や広報でもないのだろうが、それらの違いや共通点は今、問題ではない。

少し乱暴な言い方をすれば、啓発ポスターを見た人が結果的に乳がん検診を受けたとなれば、そのポスターは目的に照らすと機能したことになる。だからこそ、ポスターには人の目を引くという使命が課されているのだ。当たり前すぎるが、この大前提は問題の根っこに関わるので、それについては後述する。

皮肉な話だが、この騒動を受けて乳がん検診に行っていなかったと気づき、受診した人もいたかも知れない。炎上商法ではないが、目的を達成すればいいのかと言えば、それは違うだろう。

輸入と翻訳によって抜け落ちていくもの

根っこにある問題を検討する前に、先ずその他の小さな事柄をざっと確認してみたい。

まず、ピンクリボンとは何か? 一言で言えば、乳がん検診の早期受診を推進すること”など”を啓発する運動のことである。”など”と書いたのは、ピンクリボンに含まれる活動は他にもあり、それらが抜け落ちているがために起こってしまった問題でもあるからだ。他の活動とは、乳がんに対する正しい知識を広げたり、乳がん患者のサポートやその家族をケアすることである。ウィキペディアの英語版には、目的の全体像がしっかりと明記されている。

もともとアメリカで始まったピンクリボン運動は、2000年代に日本でも知られるようになった。当時はマンモグラフィーが普及しておらず、触診が一般的だった。そうした事情もあり、日本では触診によるセルフチェックが未だに推進されているが、乳がんにおけるセルフチェックを推進している国は日本だけだそうだ。これ以上、大した知識を持たない僕が乳がんや検診の話をするのは憚られるが、一つだけ。「セルフチェックで見つかる乳がんの多くは良性であり、定期的な検診さえ受けていればセルフチェックは必要ない」という話を、ある医師が話しているのを聞いた。今の日本のピンクリボン運動と比べると、その乖離に驚くのは僕だけではないはずだ。

タイムラグとコンペに潜む問題

騒動のきっかけになったツイートがされたのは2022年の2月18日だった。ポスターは公募で選ばれており、ツイートした人が見かけるまでには募集から審査、結果発表、そして希望した全国の病院や自治体、企業に配られるというプロセスを経ている。

審査結果が発表されたのは2021年の10月1日。騒動が起きるまでに4ヶ月弱のタイムラグがある。結果発表のあとにどれくらいの期間を経て配布され、ツイートした人が見たポスターはいつ、どこに貼られたのかは分からない。しかし、ツイートによって問題視される以前にも人の目に触れていたのは間違いない。

それどころか、募集を締め切った2021年の6月末から発表までに5段階もの審査を経ていて、その過程では、候補となるポスターに対して乳がん当事者の意見を聴く機会もあったそうである。

ここで、ピンクリボンデザイン大賞について概要を書いておく。2005年度に始まり、2021年度で17回目を数えるコンペである。日本対がん協会が主催し、ピンクリボンフェスティバル運営委員会という組織が運営している。

17回目ともなれば、かなり古株のコンペだと言えるだろう。しかし裏を返せば、毎年のように乳がん検診の啓発という同じテーマで開催し続けてきたがゆえの問題もある。それについては後ほど。

比較的歴史のあるコンペ”だから”なのか、それとも比較的歴史のあるコンペ”にも関わらず”なのかは分からないが、毎年かなりの数の応募があり、5回の審査を経る必要があるのは理解できる。

しかし、2021年度に関しては、6人の審査員が約3ヶ月の審査期間で20,000点を超えるポスターを評価するという建付けにそもそも無理があった気がしてならない。過去の応募総数を調べた結果を下に示す。

一部、調べても分からない年もあったが、応募数は増加傾向にあると言っていいだろう。昨年から20,000件を超えており、応募数が膨大なので、まともに審査できているとは到底思えない。加えて、今回の騒動では過去の受賞作も問題になっていて、無理があったのは今に始まったことではないようだ。

朝のニュース番組でこの騒動が取り上げられたとき、コメンテーターが「コンペである必要があったのか?乳がんに関わりのあるアーティストなりに委託するという方法もあったのではないか?」と言っていた。別のネットニュースではある人が「新しさはないかもしれないけど、知名度のある人を起用したシンプルな啓発ポスターでも良かったんじゃないか?」と言っていた。

コンペという方法が悪いのではない。しかし、彼女ら/彼らが言うように、コンペである必要を欠いていたとは思う。

奇をてらうということ。デザインとはなにか?

細かい話も含めて、いくつかの問題点を挙げてきた。既にメディアで触れられ、意見が交わされているものも多い。門外漢の僕が下手なことは言えない専門的な話もあったと思う。ここからは、少しだけ、自分の経験やこれまで感じてきたことも踏まえて書いてみたい。取り上げるのは、何かを”デザインする”といったときに立ちはだかる「新規性」と「公共性」の問題である。

これまでに17年連続で開催され、毎年のように多数の応募があるピンクリボンポスターデザイン大賞。テーマ(目的と言い換えてもいいかも知れない)は毎年同じなので、アイデアや表現が出尽くしていたと考える人は多いだろうし、僕もそう思う。「出尽くしているからこそ、これまでにない新しいものをつくりたい」「それを見たい」というのが、応募者や審査員の心情だったのではないだろうか?

大いに共感する。仮に、自分が同じ条件でコンペに応募したとしたら、そうした”無意識下にある感情”に逆らうことは難しかったと思う。あるいは、問題にすら感じなかったかも知れない。

しかし、確実に意識しなければならないのは、ポスターは公的な場所に貼られ、不特定多数の人が目にするということだ。コンペの結果発表から問題が起こるまでの約半年のタイムラグが指し示すのは、ひとえに、受け取り方は人によって多様ということである。その中には乳がんの患者も含まれているのは、審査の過程で当事者へのヒアリングがあったことからも想像できる。

ポスターデザインの新規性と公共性は、もちろん互いに独立ではない。新しさも行き過ぎれば公共性を欠き、その逆もある。「両者のバランスが大事なのである」というのはもっともだが、それだと結局、どちらかへの偏りが問題視されては揺り戻され、また逆へ、と繰り返すだけな気もする。

デザインの病理

この騒動に限らず、何かが問題視されたときに、侵された側の価値観へと立ち返り、その往復を繰り返すこと自体は自然である。ただ、新規性と公共性というそもそもを疑わないままに繰り返していては、前にも上にもどこにもいかない。

この問題系を少しでも先へ進めるためには、どうしたらいいのだろうか。2つの異なる価値軸に加えて、第3の何か、オルタナティブを見つければいいのだろうか?仮にそうだとしても、容易ではないし、そもそもオルタナティブを目指す姿勢が評価されてこそのコンペなので、本来は当たり前なのかも知れない。

3つの軸を想定すれば、そこに揺り戻しはなく、常に、だれも目を向けてこなかった別の可能性を模索することになる。言い換えれば、超ハードモードだということだ。二次元と三次元の間には、単にパラメータが増えて感じる困難さ以上の、厳然とした壁がある。

「デザインは表現ではない」という言説はよく聞く。しかし、では何なのかと言えばよく分からない。世に言われるデザインについて調べ、知れば知るほどその輪郭がぼやけ、少しでも気を許せば、なんでも「デザイン」という言葉で言いくるめられてしまうような暴力性すら感じる。

オルタナティブを目指す姿勢がねじれると、表現を追い求めかねない。しかし、そもそもが極めて難しいことなのだから、ねじらなければ見つかるものも見つからない。とはいえ、やはり、表現は表現であって、デザインの目指すところではない。

ここまで書いてきた”デザイン”という言葉を巡る実態や困難、そして幻想に対して、何か答えが出したいわけではないし、あるとも思えない。ただ、”オリジナルのデザイン”というオルタナティブは架空のものだという気がしてならないのだ。デザインを取り巻く環境、特にコンペのような競争空間においては、新規性や公共性への眼差しが、デザインそのものに慢性的な問題を与えているのではないだろうか?

臨床医と病理医

話は変わって、ある人が「デザイナーは町医者のようなものだ」と言っていたことを思い出す。医者が患者の具合を聞き、適切な処置をして薬を処方するように、デザイナーがまずすべきことは、相手の話をきくことである。しかし、それができるデザイナーは極めて少ないのだという。表現を求めるデザイナーは、患者との接触を避け、こんにゃく相手に針と糸で手術の練習を繰り返す外科医のようなものだろうか。それはそれで、”神の手”のような到達点があるような気もする。いや、単に医療ドラマの見過ぎかもしれない。

話を戻すと、町医者という言葉をより正確に言い換えるとすれば、それは「臨床医」のことではないだろうか。常に現場があり、目の前には”困っている”人がいる。一方で、現場にいては見えない問題があり、それに向き合うのが「病理医」と呼ばれる人たちだ。

大げさに言えば、ライターは病理医のようなものなのかも知れない。すぐには役に立てないかもしれない。しかし、話をきくことはできる。そして、同じ悩みが二度と生まれないように働きかけることで、間接的に病を治すことに繋がるかも知れない。間接性は、ライターの本質である翻訳そのものだ。

話を単純化しないように、忘れないように、ライターとしてできることから始めたい。一つのニュースからでも、それがたとえ、あっという間に消えてしまうような、小さな出来事であったとしても。


参考
https://twitter.com/ttttmmmm16/status/1494476748645289986?s=20&t=Owiql4yNnWza2e8rrzmx6A
ピンクリボンデザイン大賞について|ピンクリボンフェスティバル
対がん協会報 第707号(2021年11月1日)
ピンクリボン|ウィキペディア
Pink ribbon|Wikipedia
J-CASTニュース(2022年2月21日)
HUFFPOST日本版(2022年2月22日)
日本テレビ系『スッキリ』(2022年2月23日)
まいどなニュース(2022年2月23日)
ABEMA TIMES(2022年2月24日)
「制作者のエゴ?」乳がん検診啓発ポスターが炎上|ABEMA
ピンクリボンポスター炎上の件|守本がレターに答えるだけのチャンネル
ピンクリボンポスター炎上について|守本悠一郎のデザイントーク

カバー写真
©Ed Uthman, 2015(Licensed under CC BY 2.0)

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活版を巡る”エモ”の断章

「活版印刷」と聞いて、思わず前のめりになってしまう人は多いのではないだろうか。かくいう僕も、そのうちの一人だ。

なぜだろうか?一つには、多様な切り口があるからかも知れない。

ある人は、活版印刷が持つ味わいのある仕上がりに美的な魅力を感じる。ある人は、一人の作り手として、大量生産・大量消費に疑問を呈する形で、一点物や手仕事による創作物にそそられる。ある人は、かつて活版印刷が担っていた書物という広大な知の世界への入り口に立つことにロマンを抱く。ある人は、印刷、ひいては平面的な人工物という、古来から連綿と続く歴史の営みに驚異する。

©Wutthichai Charoenburi, 2019(Licensed under CC BY 2.0)

美術、歴史、科学、思想。およそあらゆる世界に通じる入り口として活版印刷が捉えられた結果、多くの人は何らかの魅力を感じざるを得ない。ここでは、その正体を仮に”エモ”と名付けたい。やや大げさで、乱暴な物言いかも知れないが、個人的な体験を踏まえればあながち間違っているとも言えない気がする。

一方で、現代を生きる私たちは「活版印刷」というエモに対して、諸手を挙げて飛び込んでいいのだろうか?そこに若干の疑問を抱き、このテキストを書いている。

『草の響き』

頭をよぎったのは、一つの小説だった。北海道函館が生んだ小説家であり、若くして亡くなった佐藤泰志の中編『草の響き』だ。

活版印刷所に勤める主人公が、精神を病むところから物語が始まる。1977年、当時28歳だった佐藤自身の体験がもとになっている。少し長いが、物語の一節を引用してみる。

この一年間彼は、左翼政党の日刊新聞を発行している印刷所の文選の作業場で仮名屋の仕事を続けてきた。文選工が拾って、不足した活字ケースの部分に新しい活字を埋めていくのが彼の主な仕事だった。一日中立ちっぱなしで、終業間際には鼻孔も指紋も爪も、鉛の粉ですっかり汚れてしまい、工場の地下にある風呂場で丹念にたわしでこすらねばならないほどだった。

<中略>

そうやって日を送っているうちに彼は活字の埋め込み作業をしょっちゅう間違うようになった。単純すぎる程単純な労働だった。それなのにしまいには、今までたった三本の指で何十本もの活字をいっぺんに掴むことができたのに、それも不可能になった。活字は指から崩れて足元の床板に音をたてて落ちた。彼は仕事が出来なくなっている自分を発見した。

佐藤泰志『草の響き』p.168~169より(『きみの鳥はうたえる』河出文庫,2011年)

物語はこの後、主人公が病院での診察を受けて、ランニング療法に取り組みながら、周囲の人間と交流していく。1979年に発表された作品だが、2021年には映画化された。

公式ウェブサイトより

一日も欠かさずに走り続ける主人公を見た妻が「狂っている」と言うと、「狂わないように走ってるんだよ」と言って、颯爽と玄関を出て走り去るシーンが印象的だった。映画では、小説とは異なり印刷所の描写はなかったので、『草の響き』の話はこれくらいにしておく。

活版印刷の労働環境だけが彼を精神的に追い詰めたわけでは、もちろんないと思う。そして同時に、活版印刷が引き起こすのは、ここで描かれている問題だけではない。

©猫 – 明朝体活字字形一覧, 2009(Licensed under CC BY 2.0)

活版の歴史と仕事、そして素材

ここから書く活版印刷の基本的な話は、突貫で調べた書いたものであり、不十分な説明もあると思うが、そこはどうか見逃して欲しい。まずは歴史の話から始めよう。

活版印刷をごく簡単に説明すれば、文字がかたどられた金属製の物質をインクにつけて、紙に押し付けて印刷する複製技術とその方法のことである。

現代は活版どころか、もはや印刷すらしない”ペーパーレス”の動きが盛んだ。とはいえ、フィジカルな印刷物が必要な場面や、手仕事やこだわりを表現する際に、印刷は今でも現役である。活版印刷が一般的だったのは、家庭用プリンターはおろか、業務用印刷機でさえも普及していなかった、遥か昔に遡る。

おそらく一番有名なのは、ドイツのグーテンベルクが14世紀に発明した活版印刷技術だろう。似たものとして、日本や中国では木版や土版を使った印刷が14世紀以前から行われていた。

スイス生まれの芸術家Jost Ammanが1568年に描いた印刷所の様子(Public Domain)

16世紀になって日本にも活版印刷が伝わり、やがて「文選工」と「植字工」という2つの専門職が誕生した。特に、ヨーロッパとは違って文字数が多い日本では、印刷に使う文字を拾っていく作業を担う文選工には、高い専門的技術が要求された。中国や日本ではなく、ヨーロッパで活版印刷技術が生まれ、栄えた背景には、扱う文字数の違いが大きく関係している。

植字工は、文選工が拾った活字を原稿どおりに並べて「組版」をつくる。そして、試し刷りをしてから本刷りをする。使い終わった組版はバラして、元々あった場所、スダレと呼ばれる棚に戻していく。文選工が活字を拾う際に支障がないように、”誤植”しないためにも非常に重要な工程である。

しかし、活字は使い続けると摩耗し、傷つくので、一定回数使えば溶かして鋳造され、再び活字となる。もとの場所に戻す作業はかなりの負担で時間も要したため、次第に一回限りの使用が一般的になっていった。

活字は、鉛を中心とした三種類の金属でつくられる合金である。鉛は溶融温度が低く、柔らかく鋳造しやすいため扱いやすかった。

唯一の問題は、鉛が持つ毒性だった。

心身への負担と繰り返す歴史

©cesar augusto trujillo trujillo, 2012(Licensed under CC BY-SA 2.0)

『草の響き』に描かれているような、単純労働による精神的な負担に加えて、鉛の毒性は、活字に関わる労働者を危険に晒すことになる。

もちろん、素手で触らず、口を覆って作業をすれば問題はない。実際、ピンセットでつまんだり手袋で作業をしている場合もあったそうだ。しかし、金属と金属が触れ合うと、柔らかい鉛の方が傷つき、印刷の品質に関わる。また、文選工や植字工といった繊細な作業が求められる人たちにとっては、素手で扱う方が適していた。

鉛が引き起こすのは、身体的な問題だけではない。鉛中毒は、不妊をはじめ、様々な精神障害を引き起こす。それを理由に、活字に関わる人が差別や偏見を受けることで、社会的な問題へと発展することもある。

鉛に毒性があることは、古代ギリシャの時代から知られていた。俗説との声もあるが、古代ローマでは調理器具や配管などの生活空間の至るところで鉛が使われた結果、様々な弊害を引き起こしていた。ワインを好んでいたという音楽家のヴェートーベンの毛髪からは、基準値の100倍を超える鉛が検出されたという報告もある。晩年に耳が聞こえなくなった原因の一つに、鉛中毒が挙げられている。

©Wutthichai Charoenburi, 2019(Licensed under CC BY 2.0)

日本と海外、規制と無法

EUは、『RoHS指令』という法律で鉛の使用を規制しており、日本では鉛を扱う仕事に従事する人に対して「鉛健康診断」という特殊健康診断の制度がある。ちなみに現代の日本において、鉛の廃棄に関する規制はあるものの、使用に関する包括的な規制はない。昨年になってようやく、一部の業界で使用に関する規制方針が発表されたが、普段使うアクセサリーや道具類の規制は未整備のままだ。

素手で触っても人体への被害は小さいとはいえ、まだまだ不安な点は多い。今でもあるのかどうかは定かではないが、かつては安価なアクセサリーや100円ショップの金属類には鉛が含まれていたそうだ。

ちなみに、アメリカでは政府の機関(EPA)が住宅や水道などに含まれる鉛の使用に関して規制している。

©Wutthichai Charoenburi, 2019(Licensed under CC BY 2.0)

改めて、”エモ”とはなにか

鉛の物質的な側面、そして活版印刷の歴史には陰の部分があるのはまぎれもない事実だ。しかし、だからといって現代においても活版印刷を否定したいわけでは全くない。むしろ、好きなくらいだ。なぜなら、僕も例にもれずそこに”エモ”を感じるからである。

ところで、ここまでかなり雑に定義してきた”エモ”とは一体なんだろうか?一度考えてみたい。

懐かしさ。哀愁。情緒。どれも共感はできるが、核心には迫れていない。

エモと似た言葉に、ノスタルジーがある。和訳は「郷愁」だろうか。郷は「さと」とも読み、郷土料理や故郷のように使われる。ふるさと、つまり土地と紐付いた言葉なのかも知れない。

一方のエモは、英語の”emotion”、つまり感情から派生して生まれた現代語である。個人的な経験に照らせば、ロックばかり聴いていた頃に「エモ」というジャンルを知った。音楽が現代語としてのエモの起源だそうだが、もはや音楽に留まらない広い領域で使われるようになった。

あらゆる感情にかすりながら、中心を持たない言葉、”エモ”。空っぽのようでいて、無限の接続可能性を持つからこそ、これほどまでに認知され、使われるようになったのかも知れない。空間との結びつきから開放され、人の心にスッと入り込んでは、伝播してゆく。

仮に、エモに意味的中心があるとすれば、それは記憶だと思う。個人的な記憶に留まらない、人類が歩んできた歴史としての記憶も含む、もっと大きなものだ。

だからこそ、活版印刷と聞いて前のめりになりつつも、後ろの方にある何かを忘れてはいけない気がしたのだ。光を感じるのだとすれば、そこには同時に翳(かげ)がある。

©LIGHT-RIGHT Inc.

今でも、活版印刷所は日本中、いや世界中にある。オートメーションやデジタルが主流になった現代だからこそ、ある種の反動としてそこに興味を持つ人も多いはずだ。

しかし、後方にある人間の歩みを忘れてはならない。むしろ、そこに再び光をあてることでしか、活版印刷が本来の意味で価値を取り戻すことはないように思う。

活版印刷に限らず、全国では価値を秘めたまま埋もれていく仕事や場所が多くある。これからはもっと増えるだろう。

よりよい未来のために、単純な振り子運動としての価値転換に陥らないためにも、良き形で歴史が編み直されていくことを願う。


参考
佐藤泰志『草の響き』河出文庫
映画『草の響き』函館シネマアイリス
活版印刷とは|CAPPAN STUDIO
Johannes Gutenberg|Gutenberg-Gesellschaft
活版印刷における工程|株式会社精興社
RoHS指令とは?|株式会社オーミヤ
全国で狩猟の鉛弾使用規制が始まる|日本自然保護協会
Lead|United States Environmental Protection Agency
「エモい」の意味は?|ふじのーと
文林堂|事業承継をオープンに。事業承継マッチングプラットフォーム「relay(リレイ)」

カバー写真
©Aad Corbeth, 2019(Licensed under CC BY-ND 2.0)

All photo licensed under Creative Commons by Flickr

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換気と翻訳(そして翻案)

「新年の抱負」を公表するというちょっとしたお祭りは、いきあたりばったりな僕にはあまり縁がない。ただ、今年に限っては違った。

年末に友達と会ったり電話で話したりしたことが、このテキストを書くきっかけだった。加えて、「新年の抱負」というパッケージがあるおかげでとても書きやすい。ありがとう、暦。

画像:2021年の漢字は金 東京五輪やコロナ給付|日本経済新聞 2021年12月13日

毎年、今年の漢字が清水寺で発表される。2021年は「金」だった。東京五輪の”金”メダルや様々な補助”金”、経済(つまり”金”)に目を向け始めた社会を表していると言われれば、そんな気もする。ただ、公募で決まるとはいえ投票数は約22万票で、「金」の得票数は約1万票だった。ざっくり言えば、日本人の1万人にたった1人の割合で『今年の漢字は「金」だ』と思っていることになる。

そんなことを考えていると、「今年の漢字」を決めて何になるのかと、少し不思議な気持ちになった。もちろん、振り返りや一種のイベントとしての意味はあるだろう。ただ、”中心”や”主と従”を感じざるを得ないそのマスっぽさは、徐々に過去のものになりつつある。

一方で、新年には「書き初め」という素晴らしい文化がある。各々が好きなことばを選び、これからはじまる一年を、希望を持って迎えるためのものだ。だから僕も、その使いやすいパッケージに、2022年、もしくはもう少し長い目で見た希望を「訊」という漢字に込めることにした。

とりあえずライターとして

2020年4月、僕の大学院休学生活が始まった。そして数日後、緊急事態宣言によって海外渡航が非現実的になり、休学する意味を失った。大学院を修了後はカンボジアの美術学校で働く予定で、休学はそのために必要な手続きの一つだった。

その頃は、コロナが社会をまるっと変えてしまうとは思ってもいなかった。想像力が足りなかったのかもしれない。しかし、卒業後の進路に関して言えば、それ以上に想像力が足りていなかった。

当然のように海外には行けなくなり、休学によって先延ばしにする予定だった修士論文が目の前に立ちはだかった。というか、始めからそれしかやるべきことはなかったのだ。

計画というほどの計画でもなかった僕の計画は見事に崩れ去り、卒業に向けて努力することにした。コロナは、卒業のために努力するという、至極当たり前のことを決意するきっかけをくれた。

いざ終わってみれば、修士論文の調査は楽しかったし、それなりに満足できる内容だった。しかし、海外に行けない状況は変わらず、卒業を目前にしても、働き口はまだ見つけていなかった。

大学生の頃に始めたバイトと、卒業間近に始めたライターの仕事でなんとか食べていけると分かり、そのまま2021年4月1日になった。元日ほどの新鮮さはないにせよ、新年度、いよいよ働く身となった。実感はなかった。正確に言えば、学生の頃から学生の実感もあまりなかったので、要は分かりやすい身分がなくなっただけだった。

4月の引っ越しと同時に猫がきた。体重は5キロに増えた。名前はアニョ(♂)

今はといえば、4月の頃と事情は少し変わっている。週の半分くらいは会社員として働いていて、インタビューや書く仕事は随分と減らした。経済的な事情もあるが、もうひとつの理由は、「ライター」という肩書に馴染めずにいたからだ。

ライターとして仕事を始めてからというもの、自分の考えを書いたことは一度もない。全くといえば嘘になるが、基本的にインタビューやレポート、テクニカルライティングは相手やイベント、言葉が示す正確な意味に主軸があるのであって、そこに僕の考えや意見を差し挟む余地はないし、それは望まれていない。

書くことは好きかと問われると、僕は決まって「苦ではない」と言う。ポジでもネガでもない。座りの悪い答えだと思うが、そうとしか言いようがないので仕方がない。

ただ、人の話をきくのは面白いと答えている。思えば、今年の1年間は仕事でも仕事以外でも、たくさんの人の話をきいていた。「あなたの話をきかせてください」とはっきり言ったわけではない。にもかかわらず、話し始めると止まらない人たちがたくさんいた。中にははじめて会った人もいれば、zoomや電話越しだったことも少なくない。

理由は色々あると思う。コロナで人と会う機会が減って話が積もり積もっていた人もいただろう。その相手として、たまたま僕がいただけに過ぎないとも言える。ただ、表面化したのが今の時期なのであって、話自体は長い間、その人たちの中で今か今かと出番を待っていたように思えてならないのだ。

話を聴くというのは、簡単かもしれない。だからこそ見過ごされてきた、あるいは、聴く行為自体が深く考えられてこなかったのではないだろうか。かくいう自分も、小学生の頃の成績表で「人の話をよくきく」の項目は、6年間ずっと”もう少し”だった。

聴かれてこなかった話たち

ここからは、僕の体験をもとにいくつか具体的な例と、読んでいる本についての話が続く。少し長い。

①出版業界の常識を疑い続けるライター

まだ大学院生だった2021年の3月、仕事を求めて動き回っていた。あるとき、ライターだけが所属している、少し変わった会社を訪れた。仕事がほしいという話をしにいったつもりが、気づけば相手が考えるライター像や文章を書くことの哲学を話しだし、僕にはそれが、まだ言葉にして間もない、生もののようにきこえた。

「こんなことを話したのははじめてだ」

そう言われて、単純に嬉しくも思ったが、今考えると、あの話はきかれるのを待っていたのだと思う。

②80歳の陶芸家がもつデジタルへの感性

別の話。つい先日、車を買ったので遠出してみようと思い、面白そうな場所はないかとGoogleマップで散策していた。気になった場所のSNSはとりあえずフォローしていると、山あいの集落で陶芸に励むおじいさんからinstagramでメッセージがきた。数日後、友達と一緒に行ってみると、自宅の一角に窯が据えられ、数々の作品が並んでいた。

おじいさんの創作話は尽きなかった。どういう人生だったのか、御年80歳にもかかわらず、これから何がしたいのかを嬉々として語ってくれた。

長くなりそうなので、この話は別の機会に書くことにする。

③日本にはないライティングの形

去年の12月、とある会社の人とzoomで話をした。「科学の政策・広報」という、おそらく日本で唯一の事業を展開しているらしく、アメリカには似たような会社がいくつかあるらしい。どういうライターなのか、どういう文章を書くのかという話をしていると、思いの外盛り上がった。

文章には様々な形がある。日頃から誰もが使っているチャットやメール、SNSから、詩や小説、そして企画書や報告書、研究レポートに論文など挙げればキリがない。にも関わらず、ほとんどの人は文章の書き方を教えてもらったことがない。僕もそのうちの一人だ。

この人と①の人とでは、それぞれの仕事で書く文章の性格はまるっきり違う。しかし、考え方や理想はかなり近いように思えた。サンプルは2つと少ないが、僕が行きたい方向がなんとなくわかった気がした。

まだみぬ聴かれぬ話たち

仕事で、高齢の方と電話で話をすることが多い。皆が皆というわけではないが、一定数、話し出すと止まらない人がいる。大切に育ててきた農作物、開発した機器、熱心に集めたコレクションなど、どれも興味深い話ばかりだった。愛が深ければ深いほど、語っていなければいないほど、話は長くなる。

しかし、長い話を悠長に聴いていられる人はそれほど多くない。比較的暇な僕ですら「この人話長いなぁ」と思うことはある。ただ、話の方が止まってくれないのだ。そして、僕には止まる気がない話を止める勇気もなければ資格もない。だからいつも、自然と終わるまで聴き続けている。

話は聴かれなければ、その人が経験したことは社会に共有されることはない。だからといって自然と消えていくわけでもなく、話はその人の中でずっと残り続ける。毒というわけではない。ただ、聴かれない話が聴かれないままで埋もれていくのは、少し寂しい。

話が面白いか面白くないかは問題ではない。話を聴いた人がその価値を判断すること自体が、間違っているような気もする。そうではなく、話を聴くことによってまずは一度外に出してあげる。そうすることで、新しい風が入る余地が生まれる。話をきくことは排気であり、排気しなければ給気もできない。語られない話は滞留し、固まる。

「換気が大切だ」とは、2020年から去年にかけてとても良く聞いた。しかし、換気すべきは何も室内の空気だけではない。内に溜まった話を外へ出し、新しい風を入れてあげる必要がある。

『取材・執筆・推敲』を読んで

今読んでいる本の一つに『取材・執筆・推敲(ダイヤモンド社,2021年)』がある。まだ全て読んではいないが、著者の古賀史健さんが語っていることがとても参考になったので、少しだけ紹介したい。

ライターの3つの機能

古賀さんによれば、ライターの機能は3つある。役割と言ってもいいかもしれない。それらは「録音」と「拡声」、そして「翻訳」だ。中でも、翻訳は最も中核的な機能だという。

「なるほど」と思った。ライターという肩書に対して、自分自身がイマイチ納得できていない理由が分かった気がした。

ライターは、文字通りに受け取れば、「書く人」だ。にも関わらず、3つの機能はどれも書くことを直接的には意味しない。

「録音」は、文字通り、聴いて保存し、いつでも取り出せる状態にすることだ。録音するために話を聴くのであるから、排気は録音と同じ時間の中で行われる。さきほどの話に照らして言えば、話をする人にとっては排気、つまり録音だけで十分ともいえる。だからこそ、カウンセリングや占いがあるのかもしれない。

「拡声」は、録音した内容に誰もが(その気になれば)アクセスできる状態にすること、もしくはそのための手段だ。インターネットやSNSが当たり前になった今、拡声はもはや、ライターの手に負える代物ではなくなっている。メディアやマーケティングのような言葉のもとに、ライターとしての機能からは半ば独立しているように思う。

そして「翻訳」だ。時間軸で言えば、録音と拡声の間に位置する。録音した内容を拡声する(その手段はテキストとは限らない)前に行う作業だ。古賀さんは『ライターとは取材者であり、執筆とは「取材の翻訳」である』と書いている。

3つの「きく」

ここでもう一つ、同書に書かれている別の話を取り上げる。古賀さんによれば「きく」という行為は大きく3つに分けられるという。一つは「聞く」で、もう一つが「聴く」だ。この2つの違いについてはライターであってもなくても、一般的に理解されていると思う。

もう一つは「訊く」ことで、僕はこれを「問う」ことだと理解した。とはいえ、”?”をつければ全て「問い」になるかと言われれば、そうではない。

「聞く」と「聴く」の違いについて、能動的であるか否かが問題にされることがあるが、それは少し不正確だと思う。なぜなら、「聞く」ことも「聴く」ことも基本的に受動的な行為だからだ。

一方で、「訊く」は基本的に能動的な行為だ。しかし、問いに意図がなければ、それは能動的とは言えない。

翻訳が抱えるズレ

「訊く」ことと「翻訳」に話を絞ろう。キーワードは「ズレ」である。まず、「訊く」のは相手と対峙している時であって、「翻訳」するのはその後だ。つまり、時間的にはズレている。

次に、いわゆる翻訳とは、ある言語を別の言語へと移し替えることだ。その際に翻訳者は、可能な限り、元の言語の意味を損なわないように細心の注意を払う。”可能な限り”と書いたのは、そもそも完璧な翻訳などありえないからだ。ある言語にあって別の言語にない単語や意味は数しれない。つまり、翻訳とは、その行為自体がある種のズレを伴っている。

ライターの機能としての「翻訳」についてはどうだろうか?同じ言語なのだから、そのままの内容を伝えたいのであれば、極端な話、録音や文字起こしがもっとも正確だと言えなくもない。

しかし、それは少し違う。インタビュアーは相手の顔や挙動、その場の雰囲気といった機微を常に感じながら話をきいている。そうした言語化されていない情報は第三者には伝わらない。だからこそ、「翻訳」することで”可能な限り”正確に伝えようとするのだ。ライターにとっての翻訳は、”意図して”ズラすことなのかもしれない。中でも、「訊く」ことは翻訳に深く関わる行為だと思う。意図があるから「問い」が生まれ、「訊く」ことができるのだ。

翻訳から「翻案」へ

時間的なズレと本質的なズレは避けられない。これら2つのズレを抱えて、世に送り出されるコンテンツが「翻訳」だと思う。僕がこれまでの仕事でしてきたのも「翻訳」であって、ライターという肩書の違和感の根っこはここにある。書きたいことなんて別に書かなくていいのだ。ライターは決して「書く人」ではないのだから。

「あぁスッキリした」そう思って、ここで終わっても良かった。しかし、古賀さんはいう。

もしもあなたが誠実なライターでありたいのなら、つまり取材したことの翻訳者でありたいのなら、あなたは勇気を持って「翻案」にまで踏み込んでいかなければならない。右から左へ直訳するだけでは、取材が死んでしまう。あなたがそこにいる意味がなくなってしまう。

古賀史健『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』p.208より

僕は、ライターとしてそれなりに聴けている自覚があったし、書く訓練もしてきたつもりだ。と同時に、取材やテキストから必要以上に自分を”排除”していた。はじめはそれでも良かった。しかし、書くことが日常と化すにつれて、何が面白いと思っているのか、何に興味があるのか、何がしたいのかがぼやけてきた。

自分の中にあるエンジンの場所を忘れてしまっている状態だったことに、この本を読んで気づいた。

改めて「ライター」として

古賀さんは、ライターはコンテンツを作る人であり、書く文章は取材相手への「返事」だという。どうやら、これまで僕が書いてきた文章は翻訳ではあっても「直訳」だったようだ。一つのコンテンツとして返事を書くためには、僕の意志や意図が必要だ。

「自分との関係性でしか情報の意味は発動しない」

ある編集者がインタビューで言っていた言葉だ。とても救われた。

地図はない。道のりは長い。方角さえも分からない。ただ、幸いなことに、確からしい方角を知っていそうな人には何人か心当たりがある。ひとまずは、彼ら/彼女らの背を見て進もうと思う。

いずれ目の前をいく人がいなくなった時、必要になるのは体力と戦略、そして愛だ。借り物だったライターという肩書を、これからは少しずつ、自分好みにしていこう。


参考
2021年の漢字は「金」 東京五輪やコロナ給付|日本経済新聞(2021年12月13日)
古賀史健『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』ダイヤモンド社